シマの遠吠え (新生)

シマの遠吠えが新生しました。 でも内容は変わらず、素人オーディオ感、SFやアクション映画の感想を軽いフレーズで書き込みます。

生演奏は偉いのか

 オーディオは生演奏を模倣、追体験するためのものだと決めつける輩がいる。オーディオが生を超えることはあり得ないという話も聞いた。そんなに生演奏は偉いのか?

 昔から原音再生という言葉がある。論者には無理だと悟った人もいる。しかしこれは何を原音とするかで変わるだろう。いわゆる生演奏を原音とするのか、ソフト制作者が意図した音が原音なのか、定義化されていないはずだ。つまり、生演奏を原音と考える人が、機械音が生を超えられるはずがないと言い張るのだろう。

 これはオーディオから何を求めるかによっても変わる。感激する音楽を求めるのか、リアルな音を求めるのか。オイラはハッキリ言って後者であり、感激する音楽はその結果として得られるという考えである。評論家には技術者上がりの人から音楽家兼務の人、元録音エンジニアなど様々だ。だれの文筆を信用するかは、その辺も確認した方がいい。ちなみにオイラは故長岡鉄男氏の影響が強い。オーディオは音を出す器械であって、音楽を聴く道具である必要はない。

 たとえ生演奏を聴かなくても、オーディオ趣味人でいられるのは間違いない。なぜなら、ソフトには生演奏では得られない音楽も多いからだ。そもそも、演奏会やライブ会場は、鑑賞に理想的な状況ではない。拍手や会場ノイズで聴き取れなかったりで、これはリアルタイムの熱気や雰囲気を得るのが主とした目的だろう。歌手は十八番をあえて間を変えて歌うのでガッカリだ。結局その音楽を十分堪能するには、SNの良い高度なシステムで最高に優れたパフォーマンスを何度も聴くのがベストだ。

  自然界にない音やサンプリングした効果音を屈指して、何層にも多重録音した芸術性の高い作品は生では聴けない。またそうした曲は、生演奏の雰囲気を加味しようと試みたシステムより、ピュアな正道に沿って高音質を目指したシステムで感動が得られると思っている。