シマの遠吠え (新生)

シマの遠吠えが新生しました。 でも内容は変わらず、素人オーディオ感、SFやアクション映画の感想を軽いフレーズで書き込みます。

趣味と時代の変遷

 オーディオを趣味としながらも、時代の変遷は容赦なくやってくる。アナログからデジタルへ、そして、ネット配信へとソフトの様態変化は恐ろしいほど残酷だ。
オイラは現在、CDしか聴かない。以前はレコードをよく聴いていた。その理由はそれしか無かったからである。しかし、アナログの時代はオイラにとって、音楽鑑賞のツールに過ぎず、オーディオを趣味とするという発想ではなかった。そこが今でもアナログレコードを必須のソフトとする趣味人との差だ。あっさり乗り換えることが苦痛でも何でもなかったわけである。
 ところが、CDというデジタルソフトは時代と共に未熟な規格と成り下がり、脳味噌がデジタル化した若者は、時代遅れで不合理なパッケージソフトなんぞに見向きもしなくなった。
むろん、デジタルの優位性を認めた御仁なら、それに追随すればいいではないかと言われそうだ。しかしそれは年季を経た醜い大人にはできないのである。
 試行錯誤してアナログチックな格闘をしてきた日々、生活を切り詰めて金を貯めて手に入れた憧れの機器、オカルトにまで頼って音を良くしようとしてきた自分を、パソコンと一緒に生まれてきたようなクソガキが、デジタル技術の講釈を垂れても聞くはずがないではないか。
 アナログからCDに変遷したとき、同じことがあったはずだ。しかし、その後CDはアナログディスクを超えていないという事実が露呈して、昔からの多くのアナログ趣味人は「ザマ〜ミロ」と思ったに違いない。しかし、今回はそうもいきそうにない。
 CDの古ぼけた規格とハイレゾのソフトでは戦うまでもないだろう。CDの終焉は50円〜100円で処分される今日から肌身に感じている。しかし、老化した生命体が最新のトレンドに飛びついて、過去を捨て去る行為は見苦しい気がする。
 伝説となったオーディ評論家、長岡鉄男氏が他界する前に自宅の箱舟に貝山知弘氏を招いて、音を聴かせながらの対談があった。SACDが世に周知する直前の頃だ。貝山氏のCD規格の限界に関する問いに長岡氏は「この音に何の不足がありますか。」と答えた。貝山氏は返す言葉も無かったようである。
 オーディオの神に近い存在の御仁がたどり着いた境地に、オイラごときがどこまで近づけたというのか。1990年代の趣味人でいるのもいいかもしれない。