シマの遠吠え (新生)

シマの遠吠えが新生しました。 でも内容は変わらず、素人オーディオ感、SFやアクション映画の感想を軽いフレーズで書き込みます。

共存不可のジャンル

 多くのジャンルを聴くオイラは、何でもそつなく再生できるオールマイティなシステムを目指してきた。
しかし、どうしても共存が困難な音楽がある。それはアイドル歌謡である。
 近年のものは知らない。TVでは見るがソフトを買わないからだ。60〜70年代の歌謡曲は、意外と厚みがあってボーカルがグっとクローズアップする好ましい録音が多い気がする。しかし、80年代からブームになったアイドルの音がいただけない。同じ歌謡曲と思うが何が違うのだろう?
 以前からその傾向が分かっていたが、アンプを変えてさらに顕著になった。もはやメインシステムでは、青春時代のオナゴアイドルの曲が違和感無くして聴けなくなってしまったのだ。
 肝心のボーカルが引っ込んでしまい、バックの演奏が両サイドから押し寄せてくる。このまったく前後が逆転した奥行感は何なのか。山口百恵中森明菜の声は遠く、左右からロックでハイ上がりな伴奏の高域がウルサくてならない。歌手の前で伴奏のエレキギターが派手に演奏しているなんてお笑いだ。
 これは明らかに録音が普通ではない。中域しか聴こえないシステムで聴くためのソフトと言うしかないだろう。
 不思議なことに、同時代の海外の曲はそうした極端な違和感を感じない。ソニー松下電器がラジカセ文化を作った日本の功罪だろうか。日本で異様にBOSEのフルレンジスピーカーが売れたのも分かる気がする。90年代になってミニコンポがブームになったとき、その多くはイコライザーが付いていたのを思い出す。中には高級機を装ったものもあった。SONYの「リバティ」もその一端で、実はオイラは持っている。イコライジングできない代わり、見事なカマボコ特性だ。
 結果、これらアイドル歌謡ソフトはシステムの音質を高度に調整するほど、トーンコントロールでの補正無くしては決して共存できない音楽だと断言する。

明菜のセカンド・ラブ。大好きな曲だが、この曲のソフトは正統派オーディオ趣味人のシステムではまともに鳴らない。(ハズ!)