シマの遠吠え (新生)

シマの遠吠えが新生しました。 でも内容は変わらず、素人オーディオ感、SFやアクション映画の感想を軽いフレーズで書き込みます。

青春のディスコ隆盛時代 その2

 大学時代は社会情勢や事件にまったく興味が無かった。ニュースはまったく見ず、浅間山が噴火したときは下宿のある朝霞市まで火山灰が降り注ぎ、オレンジ色に染まった風景を見てこの世の終わりだと思ったものである。

 さて、朝まで踊り狂う狂乱のディスコ時代も変革を強いられる事件が起こった。新宿ディスコ殺人事件である。突然、どのディスコも営業が午前0時までとなったのである。0時近くになると頻繁に警察が来るようになった。8割以上の客はここで解散だ。ところがヘビーなオイラ達はじっと待つのだった。警察が引き返すと、店員が裏口に客を案内し、別の闇営業しているディスコに案内してくれるのだ。この規制過渡期ではあちこちで闇営業が行われていた。だから案内される店は同じではない。また、あらゆる店から客が集まってくるので、朝まで大盛況である。すると、そこにも結局警察の手が回ってくる。突然音楽が止まり、暗闇の中で店員がさらに闇のディスコへ連れて行く・・多いときで、朝までに4回別の店にハシゴした記憶がある。もちろん、すべて無料だ。それだけディスコ産業は潤っていたのだろう。

 しかしそれも一時の悪あがきであり、結局すべての店が0時で閉店した。妙なのはこの事件、ゲームセンターでナンパされた少女が殺されたのであり、ディスコとは直接的な関係が無い。逆にゲームセンターはどこも24時間営業が変わらなかった。

 さらに1年ほど経つとディスコの曲はハイエナジーの流れになり、極端にアップテンポになっていく。オイラの好きなファンキーダンスには合わないため、しかたなく簡単なステップを作って流行らすという楽しみに移行していった。ユーロビート時代の始まりだ。オイラはこのハイピッチで哀愁のあるメロディは嫌いではない。それは後に歌謡アイドルにコピーされるようになる。(荻野目洋子、ウィンクetc)

 ここらでオイラのディスコ時代は終焉となる。それはマハラジャジュリアナ東京やお立ち台、パラパラといったバブルディスコより前の時代であった。

アルバムに貼ってあったメンバーズカードの一部。歌舞伎町でよく出入りした店だ。