シマの遠吠え (新生)

シマの遠吠えが新生しました。 でも内容は変わらず、素人オーディオ感、SFやアクション映画の感想を軽いフレーズで書き込みます。

青春のディスコ隆盛時代

 中学までクラシックやイージーリスニングを聴いていたオイラが、突然ディスコミュージックに目覚める切っ掛けとなったのは、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の大ヒットである。

 実はその前からソウルにハマっていたアニキから、ディスコダンスを積極的に教えられていた。おそらく、隣町のディスコ(サンジェルマンという店)に行く仲間を増やしたかったのだろう。高校時代は暴走族が多く、ロックンロールに嫌気が刺していたオイラはディスコに傾倒していった。だから前述の映画公開は衝撃的だった。そして、文化祭の実行委員長だったオイラはキャンドルサービスをディスコパーティーに変えてしまい、大好評を博したものであった。

 当時、ディスコミュージックというと、3つに大別されていたと思う。アメリカ発黒人系のファンキーダンス、ヨーロッパ発のキャンディポップ、日本発のテクノポップである。この辺は語弊もあるのでツッコミは勘弁願いたい。オイラが師事していたのはファンキーダンスで、(ジャクソンズ、アース、シックetc)後にラップが加わってブレイクダンスに昇華していった。キャンディポップ(ジンギスカンアラベスクノーランズetc)は簡単なステップを大衆に流行らせ、渋谷の路上ダンス(竹の子族)に好まれた。これがのちのユーロビートになっていく。テクノポップYMOなど)は80年代後半に始まった本格的なテクノとは違い、キャンディポップの亜流的イメージが強い。

 大学生になってからは新宿の東亜会館ビルに入り浸り、オープン即入場して朝まで踊っていた。実は、早く入場すれば1000円で朝まで飲み食い放題だったのである。ビル全体がディスコという凄まじいブームの中、店によって毛色が違ったりして好みが分かれた。サーファーモドキが集まるB&B、キャンディポップ中心のニューヨークニューヨークなどなど。オイラと仲間たちは、異常に焼きそばが辛いギリシャ館に行く事が多かった。当時は六本木でも流行っていたけど、小さな箱に高価な入場料は学生には不相応と感じた。体力だけはあったので、よく朝日を受けてゴミだらけの歌舞伎町から帰ったものである。ウチのチームは妙に硬派で、酒も飲まずナンパもしなかった。当時、上階のシンデレラ館で、同じようなことを後のTRFのSAMがやっていたらしい。

ただ、そんな夢のような世界はいつまでも続くわけではなかった。 ~つづく~