シマの遠吠え (新生)

シマの遠吠えが新生しました。 でも内容は変わらず、素人オーディオ感、SFやアクション映画の感想を軽いフレーズで書き込みます。

オーディオマニアの満足

 趣味人は、その世界で得られる満足や感動が定期的に無ければ続けていられない。

 趣味とは凝ることなので、成果が無ければ萎えてしまうのである。では、オーディオマニアが長く続けていける理由について考えてみる。

 基本的に音が悪いうちは向上心が継続の糧となる。レベルが上がると、良い音は一つではないという事が分かり、ある満足が得られても更なる世界を求めてしまう。語弊を恐れずに言うと新たな変化が楽しいのだ。それは認められないと、音楽にも造詣が深い御仁は言うかもしれないけど・・

 音が変われば楽しいのだから、理系の知識を持った自作派は理想的だ。対して文系の趣味人は大変。音の変化を求めて機器を更新していたら身が持たない。だから安価なアクセサリーが必要になってくる。しかし、それも近年決して安価と言えないものになっているのがツライ。金を掛けなくても人との交流があるから‥と言う御仁は間違っている。交流があれば影響されてより多くの散財を招くのだ。

 何らかの変化は、それが失敗であっても趣味の過程としては満足である。しかし、成功しても感激は長く続かない。個人差はあろうが2週間と持たないのではないか。すぐに慣れてしまうのだ。そして残酷なことに、満足していられる時間は投資したコストと比例しない。

 オイラの経験では、スピーカー以外は何を変えても感激していられる時間はほとんど同じだ。コンセントを変えたときも、100万円の機器を更新したときも、音の変化に対する興味のレベルに差が無いのである。ではハイエンド商品を更新するのは何故か。

 それはまさに趣味だからだ。ハイエンド機器の更新に音質と言う要素はさほど重要とは思えない。そこには所有欲の満足が大きく関わっている。趣味人は、最高の品、限定品、美しいモノ、入手困難品を持つだけでも幸せになる。そして、この満足感は長く継続する。所有するハイエンド商品がフルモデルチェンジして、業界と結託したメディアが新商品を絶賛するまで続くのだ。