平成3年に家を新築し、実家を離れるにあたりオーディオ機器も一新した。家を建てる予算を少し上乗せすれば、庶民オーディオなんて様変わりできるのだ。
YAMAHAのDSPで7チャンネルの音場創生も偽物じゃないかと我に返り、ピュア2チャンネルに立ち返った。そして迎えたのがダイヤトーンDS-2000HRで、その難物ゆえに敗北したことは「懐かしの愛機」で書いた通り。その頃のアンプはサンスイがメインでAU-α607 Mos PremiumからAU-α 907 Limitedとグレードアップし、サブとして中古のアキュE-305を使っていた。実はE-305Vも同価格の中古であったのだが、自宅で2台を並べて厳格に音を比較して旧製品を選んだのだった。後者はたしかにSNがアップして透明度が高かったが、勢いが失われていた。このときオーディオは、より美しい音が出ればいいという単純なものではないと学んだ。
また、AU-α 907 Limitedより高域がハッキリしており、ソフトによってはサンスイより優れた表現力を魅せてくれた。これが転機となり、オイラはアキュフェーズに傾倒していくことになる。A-50を導入したときは、同格のプリが買えるまでE-305のプリアウトを使って凌いだものだ。つまり、アンプをセパレートする橋渡しの機器でもあった。
このアンプとの別れがレコードとの完全な決別となった。以後、オイラはフォノイコライザーを持っていない。
また、この頃から高価なオーディオ機器はあまり新品では買わなくなった。ソフトも同様である。